ふと思ったのだが、サーフィンとクライミングは共通点が多い。
誰でも思いつく共通点としても、
- 自然が相手
- 危ない
- 2020年東京オリンピック追加種目
あたりだろうか。
他にも、背筋がすごいとか、パダゴニアっぽいとか色々あるかもしれない。
今回はクライマーに加え、着々とサーファーになりつつある私が、
サーフィンとクライミングの歴史や文化を紹介する。
ちょっと長いが、この記事を読めば、2020年追加種目となる2種目について、同時に知ることができるぞ!
ルーツはどちらも古代
サーフィンのルーツ
そもそも、「サーフィン」という言葉の意味は、「波にのること」。
その意味でサーフィンを最初に始めたのは、ハワイやタヒチに住んでいた古代ポリネシア人と言われている。
もっとも古い根拠が見つかっているのが、A.D.400年ごろで、それ以前にもサーフィンがあった可能性は高い。
古代ポリネシア人は、カヌーを作り、動力は風と人力だけで大陸からポリネシアの島々に渡った人々である。
彼らの作ったカヌーの中に、現在でもワイキキビーチのアクティビティとして乗られているアウトリガーカヌーという形のカヌーがある。
このような片側に浮きがついたカヌーのこと。(両側に付いているタイプもある)
古代ポリネシア人はこのカヌーで島の沖へ漁に珊瑚礁に行き、帰りには波に乗って帰ってきていた。
そしてカヌーは次第に小さくなり、オロ、アライアと呼ばれる大きな板のようなサーフボードの原形が生まれた。
クラミングのルーツ
そもそも、「クライミング」という言葉の意味は「登ること」。
この定義で行くと、人類誕生と同時に木や山に登る行為は始まっている。
では、岩を登る「ロッククライミング」のルーツはいつなのか。
これもルーツは古く、もともとは登山のための手段だった。
ヨーロッパの高山は一面「岩と雪」の世界である。
その山を登るために、ロッククライミングは登山の一部として存在していた。
ルーツの共通点
古代から存在する。
そもそも別目的の手段であり、「波に乗ること」「登ること」を目的としていたわけではない。
20世紀に「近代サーフィン」「フリークライミング」が台頭
近代サーフィン
「近代サーフィン」とは、サーフボードに乗り、波に乗ること自体を目的とする、私たちがサーフィンと聞いて想像するサーフィン。
古代から「サーフィン」があったにも関わらず、近代サーフィンが知れ渡るのは20世紀と、一気にここ100年の話になる。
その間何があったのか。以下ようにサーフィンは神聖なものとして、行われていた。
歴史家たちのリサーチによると、サーフィンはカプシステム(法律)で管理されていた行為だということです。王家の人だけが出来るもの。けれど、息抜きの趣味というのではなく、荒れた海でサーフィンすることで、勇敢ぶりを競う行為。要するに、誰が人の上に立てる存在であるか、波に乗ることで決めたという政治に関わる大切な行為でした。
http://hawaiilove.jp/lifestyle/1338/
しかし、1778年イギリスのキャプテンクックが初めてハワイへ渡ることに成功する。
そして西洋の宣教師たちによって、波にのる行為自体が野蛮人がする時間の浪費だと卑下され、禁止となった。
時は流れ、1898年の米西戦争をきっかけに、ハワイはアメリカ植民地となり、宣教師下のハワイではなくなった。
1900初頭に、今では近代サーフィンの父と呼ばれるデューク·カハナモクとその友達が、ワイキキのビーチでサーフィンをやり始めた。
そのころには多くの外国人がハワイに訪れており、その様子を見た観光客が興味を持ったことで、サーフィン人口はどんどん増加した。
デューク・カハナモクは、泳力も凄まじく、1912年、ストックホルムオリンピックのアメリカ代表として100mm自由形に出場し、世界新記録を達成。
その後17年間世界No.1の座に君臨した。
そして、世界各国の水泳競技大会に招待されては、サーフィンを披露することで、
近代サーフィンを一気に普及させた。
1915年の1月15日にオーストラリアのシドニーで行ったエキジビションは有名で、それによりオーストラリアではサーフィンは国民的なスポーツとして大きな発展を遂げています。
デュークの偉大な功績により近代サーフィンの礎が築かれたといっても過言ではないでしょう。彼の偉業を称えるためにハワイのワイキキ海岸とオーストラリアのフレッシュウォーター海岸には彼のブロンズが建てられています。
http://www.nsa-surf.org/about2016/history/
ちなみに、日本では1960年頃に駐留アメリカ人が湘南や千葉の海でサーフィンをはじめ、
それを見ていた少年たちが模倣して自作のボードで初めたのが起源と言われている。
フリークライミング
「フリークライミング」とは、登攀のための道具を一切使わずに岩を登ることである。
(安全確保のためのロープなどの道具は使用する。)
このフリークライミングの起源は、1920年〜1940年のアメリカのヨセミテであるとされている。
それまでは登山の一部として、ロープをつかんで登ったり、簡易はしご(あぶみ)をかけたり、と山頂に至るためには道具を用いてクライミングはなされていた。
そんな中、ヨセミテのクライマーたちが、
純粋に「登ること」を目的とし、
自然の岩をありのままの姿で楽しみ(ボルト穴を開けたりもしない)、
己の身体能力や技術をもってのみ挑戦する、
というスタイルを生み出した。
このスタイルでのロッククライミングは徐々に広がっていき、
1924 年には早くもコロラドで 5.8が登られ、
1947 年にはロサンゼルス郊外のターキッツロックで初の 5.9 が記録されている。
(この難易度を数える仕組みをデシマルグレードと呼び、「5.」がフリークライミングでの登攀を意味し、当時は「5.10」が最難関とされていた。)
クライマーたちは、このグレードを押し上げようと努力し、
1973 年には、5.12
1977 年には、5.13が初登され、
現在では5.15cまで登られている。
(デシマルグレードは、人間の限界を越えようというフロンティア精神に押し上げられた結果、5.9以降は、5.10a, 5.10b, 5.10c, 5.10d, 5.11a, 5.11b,・・・5.15a, 5.15b, 5.15c となっている。)
ちなみに、日本でフリークライミングが広まり始めるのは、1970年~1980年からである。
20世紀に生まれた近代新スタイルという共通点
サーフィン自体が、クライミング自体が目的となり、そのスタイルが世界中に広がっていったという共通点があった。
また、どちらもアメリカ(ハワイ )発祥で、日本に入ってきたのは1960〜1970年のことである。
急速なスポーツ化
競技としてのサーフィン ショートボードの登場
サーフィンのスポーツ化に向けた変化は1970年ほどから始まった。
ショートボードの登場により、それ以前は9フィート以上あったサーフボードは、一気に6フィート前後まで短くなった。
当時のトッププロたちのほぼ全員が、ロングボードからショートボードに乗るようになった。
小さなボードは少しの体重移動で簡単に動かすことができ、高速なターンを可能にし、
アグレッシブなサーフィンが評価されるようになった。(急なターン、派手な水しぶき)
サーフィンの大会もどんどん増え、業界規模も大きくなり、トッププロのサーフボードには
たくさんのスポンサーのシールが貼られるようになった。
サーフボードの技術開発も進み、今ではエアリアルという、波から跳び出し横回転、縦回転し着水する技も現れている。
そして、ショートボードは2020年東京オリンピックの追加種目となった。
ちなみに、ロングボードの大会も開催されているが、現在の人気は見た目が派手なショートボードであり、大会の賞金規模もショートボードの方が数倍多い。
ロングボードの大会はアグレッシブな動きではなく、いかに長く美しく波に乗れるかという評価観点であり、同じサーフィンだがショートボードとはかなり違ったものという捉え方もできる。
競技としてのクライミング 「人口壁」「スポーツクライミング」の登場
1980年後半になると人工壁が登場し、インドアクライミングが発展した。
日本では21世紀に入ると「ボルダリングジム 」が激増した。
2000年頃には全国で数十軒だったが、2000年代後半に100軒を超え、今は500軒ほど存在する。
アウトドアクライミングとインドアクライミングの最大の違いは、その環境である。
- 屋根があるので、天候に左右されない
- 都会にも存在し、どこに住んでいても登れる
- 課題を人の手で作れるため、難易度やムーブを操作できる
初心者でも楽しめるよう、地面には広く分厚いマットが敷かれ、簡単な課題も設定されている。
これにより、老若男女が楽しめる競技として2010年以降急速に知れ渡った。
また、コンペティションという形で競技化されたことで、選手に差をつけるために、
- 「登り切ること」だけが目的でなく、「より少ない挑戦で、より高く、より速く」
という目的が追加されたことで、アグレッシブな動きが増加
という特徴もある。
例えば、従来のアウトドアのフリークライミングでは、利用シーンが少なかった「ランジ」(両手両足を壁から離して跳び上がる)が、現在の大会では毎回のように求められたる。
各国の代表選手は修練を重ね、今では多くの男子選手が片手で懸垂くらいはできるフィジカルをもっている。
そして、2020年東京オリンピックの追加種目となった。
スポーツ化の共通点
スポーツ化が進み、業界規模が大きくなり、サーフボードや人口壁といった環境も急速に進化、整備された。(ここ50年の話)
同時にプロ選手の技術も向上し、よりアグレッシブな技、動きが生まれ、限界が押し上げ続けられている。
そして、どちらも2020年東京オリンピックの追加種目となった。
サーフィンは「スポーツ化」が進んだショートボードのみでロングボードはない。
スポーツ以外のスタイルも多様 トラディショナル派も多い
シングルフィンロングボード
ロングボードの中でも、ボトムの真ん中に大きなフィンが一枚だけ付いている「シングルフィンのロングボード」。
大きなロングボードが生み出す浮遊感や、ずっしりと体重をかけて大きくターンをする重量感に惚れる人は少なくない。
このスタイルが近代サーフィンの中で、もっともトラディショナルなスタイルかと思うが、
その他にもスタイルや価値観は多様にあり、どんなライディングをしたいかで、
フィンの枚数(0〜5枚)や形、ボードの大きさ、形にも様々な選択肢が存在している。
トラッドクライミング
ヨセミテで生まれたフリークライミングの思想には、自然の岩をありのままの姿で楽しむ(ボルト穴を開けたりもしない)があった。
そのために岩の割れ目にナチュラルプロテクションと呼ばれる装置を差し込み、安全を確保した。
ナチュラルプロテクションを用いたクライミングは、安全確保をできる数が少なく、落下時のリスクが高い。また、その設置にも技術が必要となる。
これは、スポーツクライミングにはない考え方で、スポーツクライミングにおいては安全確保はクライミングの邪魔にならないよう最低限になるようにされている。
昔からクライミングをしている人や、ヨセミテに憧れている人、クラック(岩の割れ目)を登る人など、多くのクライマーがこのトラッドクライミングにはまっている。
「フリーサーファー」という言葉の登場
私の解釈だと、自分の価値観やアートなどと結びつけることで、生き方そのものを魅せるサーファー。
プロサーファーでも大会の優勝賞金やスポンサー料だけで生きていくことは難しいという
背景から生まれている事実もあるかもしれないが、
大会で競うためにサーフィンをしたくない、評価されるためにサーフィンをしているのではない、
と考える人が一定数いることも事実。
大会にも出場しながらフリーサーファーを名乗るプロサーファーもいれば、
YouTubeでサーフィンライフを発信しているフリーサーファーもいる。
ミニマム・ボルト(クライミング)
できる限りシンプルなスタイルで登るべきだ。というミニマム・ボルトと呼ばれる価値観は、
安全確保のためのボルトも、最小限にするべきだ、という考え方。
技術や体力だけではなく、岩と向き合う精神力が重要な要素となる。
この価値観の延長(全く別物かもしれないが)に、
安全確保のロープを付けず命をかけてクライミングをすることで評価されたクライマーもいれば
クライミングシューズすら履くべきではないという価値観も存在する。
まとめ
サーフィンもクライミングも、自然を相手にすることが原点であり、
1人で楽しむ、自然を感じる、過去の自分を超える、己に挑戦することができる。
己と向き合い続けて生まれたスタイルは、その人そのものに近しく、他者とまったく同じであるはずがない。
その多様なスタイルが混じり合い、時にぶつかったりもしながら存在しているように思う。